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東京高等裁判所 昭和39年(ネ)2496号 判決

控訴人

大極光明株式会社

代理人

谷村唯一郎

ほか三名

被控訴人

東京都

訴訟代理人

三谷清

指定代理人

渡辺司

主文

原判決を左のとおり変更する。

被控訴人は控訴人に対し、金一億八〇万円およびこれに対する昭和三七年二月一三日から支払いずみにいたるまで年五分の割合による金員を支払え。

控訴人のその余の請求を棄却する。

訴訟の総費用はこれを二分し、その一を控訴人の、その余を被控訴人の各負担とする。

この判決は、主文第二項にかぎり、控訴人において金額二、〇〇〇万円の担保を供するときは、仮に執行することができる。

事実

控訴代理人は、「原判決を取り消す。被控訴人は控訴人に対し、二億四、〇二四万円及びこれに対する昭和三七年二月一三日から支払いずみにいたるまで年五分の割合による金員を支払え。訟訴費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする。」との判決ならびに仮執行の宣言を求め、被控訴代理人は、控訴棄却の判決を求め、なお、控訴人の当審における請求の拡張部分に対しては、請求棄却の判決を求めた。

当事者双方の事実上の主張、証拠の提出、援用および認否は、次のとおり付加または訂正するほか、原判決の事実摘示と同一であるからこれを引用する。

一、控訴代理人は、左のとおり述べた。

(一)  終戦直後の東京都中央卸売市場の状況は、市場建物の一部は存在したけれども、入荷は少なく、広大な設備もほとんど利用されず、また、市場区域内の空地には、焼跡よりコンクリート塊、壁土、瓦礫、焼トタン、塵埃等が捨てられ山を築き、一部はいわゆる戦時菜園となつて、麦、野菜等が耕作されていたのであつて、市場敷地内に存する本件土地は、当時荒廃のままに放置された空地であつた。

(二)  本件土地については、昭和二一年五月頃から市場関係係官と控訴会社(当時の商号は不二食品株式会社)との間に話し合いが進められ、本件土地を借り受けるについては、控訴会社が自費をもつて整地することが条件となつていた。そこで、控訴会社は、借受け後直ちに本件土地の一部を畑地として耕作していた者と交渉して立ち退かせた上、月島の馬場組に依頼し、八〇万円の費用を投じて整地を完了し、本件土地を立派に宅地化した。控訴会社は、そこに一一棟の建物の建築を計画したが、都経済局長からの申入れや建築制限令の施行等のため建築許可をえられないでいるうちに、請求原因三のとおり七五六坪が接収されたのである。なお、土地使用料は当初坪当り一円であつたが、その後順次値上げされて、昭和三二年四月からは一ケ月坪当り一六〇円、建物敷地分は二四〇円となつた。

(三)  進駐軍は、右七五六坪を接収したけれども、事実上これを使用せず、接収は昭和二四年四月解除された(従前その時期を昭和二七年と主張していたのは誤りにつき訂正する。)。その後も、被控訴人は右部分に事実上手を解れなかつたので、結局右土地は引き続いて控訴会社の管理下にあり、控訴人が被控訴人に提出した本件土地利用計画は、右七五六坪についても使用許可があつたものとの前提に立つていた。このことは、本件土地につき代替地問題が出たときにも、控訴人が現に使用している八四坪を除く全体を対象として話がすすめられたことからも窺うことができる。

(四)  控訴人は、昭和二四年末計画中の一部であつた五五坪の建物を建築し、翌年一月から倶楽部営業を開始したが、この程度では市場側の要望である宿泊、会合設備のある倶楽部を実現することはできないので、控訴人は右建物の建築と併行して、市場側と常に交渉を保ちつつ、本格的なビルデイングの設計をしたが、被控訴人の承認をえるにいたらなかつたものであつて、控訴会社が本件土地をほとんど空地のままにしていたのは、被控訴人の責任であり、これを控訴会社に転嫁するのは不当である。

したがつて、被控訴人の主張するごとく、市場業務の拡大に伴う市場内の混雑激化の解消のため特別の必要があつて許可を取り消し、また、七五六坪については許可を与えなかつたというのであれば、その理由を明らかにし且つ取消しまたは許可を与えないことにより控訴会社が蒙るべき損害に対し補償の申出をするのが権利行使上の信義というべきである。なお、右取消しまたは許可を与えない理由の認定は、被控訴人の独断に委ねられているのではなく、客観的に妥当なものでなければならないことはいうまでもない。

(五)  被控訴人は七五六坪の土地の接収が解除されたにかゝわらず、約旨に反して控訴人の使用を許可せず、また内九六〇坪については、昭和三二年六月二九日、その翌日限り使用許可を取り消す旨控訴人に対して通告し、同年九月二二日行政代執行法を濫用して、実力をもつて控訴人の右土地の占有を侵奪した。このような措置は、当然被控訴人の責に帰すべき事由による債務不履行ならびに不法行為としての責任を伴うものである。なお、接収された七五六坪については、債務不履行のみを主張する。そして前記行政代執行法により実力をもつて控訴人の占有が奪取されるにいたつたので、七五六坪を控訴人に優先的に使用せしめるとの約定も、この時確定的に履行不能の状態になつたものである。

(六)  控訴人は被控訴人から使用許可をうけた一、八〇〇坪のうち現在使用中の八四坪を除き一、七一六坪の賃借権または土地使用権を失なつたのであり、その損害額は、右賃借権または使用権の財産権としての価格である。なお控訴人は被控訴人の要請によつて、使用許可に際し、相当の費用を支出して整地をしており、期間についても、その定めがなかつたことは前示のとおりであるから、損害賠償ないし損失補償の額を定めるにあたつては、この点も考慮されなければならない。

したがつて、控訴人が被控訴人から賠償をうけるべき額は、昭和三二年九月当時における本件土地の賃借権ないし使用権の価格坪当り一四〇、〇〇〇円の割合によるべきであり、(イ)内九六〇坪については、一三四、四〇〇、〇〇〇円、(ロ)七五六坪については、一〇五、八四〇、〇〇〇円が控訴人の蒙つた損害ないし損失であるということができる。

よつて、本訴において請求を拡張し、被控訴人に対し、(イ)、(ロ)の合計二億四、〇二四万円およびこれに対する昭和三七年二月一三日から支払い済みにいたるまで年五分の割合による金員の支払を求める。

二、被控訴代理人は左のとおり述べた。

(一)  本件土地が東京都中央卸売市場の敷地内に存すること。本件貸借の成立当時本件土地が荒廃の状態にあつたこと、七五六坪の土地の接収が昭和二四年四月に解除されたこと、土地使用料が控訴人主張のごとく値上げされたことはいずれもみとめる。

(二)  接収にかかる土地について債務不履行はない。本件土地は行政財産であるから、接収された七五六坪について将来接収解除のときは優先的に控訴人に使用を認めるといつても、それによつて私法上の契約が成立したものとみることはできない。それは、単に、将来接収が解除となつたときは、市場の諸事情が接収時と変りなく、使用を許可しても支障がないと認められる場合には、再び控訴人に使用を許可するという趣旨の行政上の方針を明らかにしたものにすぎない。ところで接収が解除された昭和二四年当時は、ようやく市場業務が活発となり場内は狭あいをつげてきたときであつたため、市場整備計画を考慮しなければならなくなつた関係で本件土地を控訴人に使用させることは、市場の管理運営に支障があつてできなくなるにいたつたのである。

(三)  被控訴人は、本件土地の使用期間は一年と定められたものと主張するが、もしそれがみとめられないならば、期間は、実質上においては、市場の管理運営上、管理者(都知事)において本件土地を必要とする事態が生ずる時までというべきである。けだし、本件のような公共用財産は、その公共目的に妨げとならない限度で、第三者に使用させることができるだけであり、したがつて公共目的に妨げを生ずる場合には、直ちに第三者の使用を終了せしめうるのでなければならないことは、行政財産としての性格上当然のことだからである(当時の業務規程五八条参照)。要するに、使用期間については、市場の管理運営上本件土地を必要とする時期の到来したときは使用関係を終了せしめるという趣旨が、使用許可処分に内在しているというべく、この意味で、本件使用許可の取消しは、特定の使用期間の途中で使用許可を取り消す場合とは性格を異にしている。

(四)  被控訴人は、本件使用許可の取消しにより、損失補償の義務を負うものではない。

原判決理由にいう国有財産法二四条と地方自治法二三八条の五の規定は、いずれも普通財産の貸付期間中において、公共用に供するための必要を生じたときに、その契約を解除することができるものとし、その代わり借受人に対して、よつて生じた損失の補償請求を認めているのである。ところが、行政財産については、その用途、目的を妨げない程度において例外的に使用を許可するのであるから、公益上の必要が生ずれば、いつでもその使用を終了せしめる制約が使用許可に内在するものと考えられる。もつとも、使用期間が特定されている場合には、期間の途中で許可を取り消すことは、借受人に不測の損害を生ぜしめることがあるので、国有財産法一九条は、行政財産を使用させる場合にも、同法二四条を準用しているのである。要するに、原判決が引用する諸規定は、特定の使用期間の途中において解約または使用許可の取消しができるという点に主眼が存するのである。しかるに、本件土地については、使用期間の途中で使用関係を終了せしめたものではなく、市場の運営管理のため公益上必要とする時期が到来したため、許可が取り消されたのであつて、事情の異なる本件の場合に、前記諸規定を類推適用する余地はない。

(五)  仮りに、被控訴人に損失を補償する義務があるとしても、控訴人の主張するような消滅した使用権自体に対する補償義務はない。控訴人の使用権はもともと市場に必要が生ずれば、いつ取る消されるかわからない制約を負うきわめて不安定な権利であるとともに、性質上これを自由に売買等の取引の対象とすることはできないのであるから、控訴人が借地権なみにこれを評価して損失補償額とすることは誤りである。

なお、付言すると、本件においては、一、〇四四坪の土地に建坪五九坪の木造平家建一棟があつただけで、その余の部分は現実には使用されず、放置されたままであつたのであり、同建物は、本件土地のうち使用許可の取消しをしなかつた八四坪の土地の上に移転したので、本件使用許可取消しに伴なう建物撤去、営業上の得べかりし利益の喪失などは全く生じないですんだのである。

三、〈証拠〉略

理由

一原判決添付目録記載の土地が被控訴人の所有に属し、その開設にかかる東京都中央卸売市場に存すること、昭和二一年当時において右土地が荒廃の状態にあつたこと、控訴会社(当時の商号は不二食品株式会社)が昭和二一年七月二七日被控訴人から目録第一記載の土地一、五〇〇坪を、同年九月三日目録第二記載の土地三〇〇坪を、いずれも始期を同年八月一日、使用料を一カ月坪当り一円、使用目的をクラブ、レストラン、喫茶、料理及びこれに附帯する事業を営むため建物を建築所有することとして借り受け、使用料はその後順次値上げされて昭和三二年四月一日からは一カ月坪当り一六〇円、建物敷地部分は二四〇円となつたことは、いずれも当事者に争いがない。

二〈証拠〉および記録上明らかな「中央卸売市場の所在地、開設認可及び開設期日」(東京都中央卸売市場関係法規集所収」によれば、束京市(都)中央卸売市場築地本場は、昭和六年六月一七日開設を認可されたもので、本件土地を含む東京都中央区築地五丁目一番地五八、五九七坪は、同市場の指定区域となつていることが明らかであり、右市場が魚類、鳥類、そ菜、果実等の卸売をし、東京都民の台所を賄うものとして重要な役割を果していて公共性の強いことは公知の事実である。そして、〈証拠〉によれば、本件土地は右市場区域の東北部出入口にある海幸橋のたもとの一角を占め、市場業務の円滑な運営のためには重要な影響をもつ位置にあること、また〈証拠〉を(市場業務規程)に対比すれば、控訴人の営業は、市場業務の付属営業といわれるものであることが明らかである。これらの事実を考えあわせると、本件土地は、いわゆる公有財産のうち行政財産に属するものとみとめるのが相当である。

控訴人は、本件土地を借り受けたことをもつて、私法上の契約が成立したものと主張するけれども、当時施行されていた東京市条例昭和九年第三七号東京市中央卸売市場業務規程―特にその四七条、五一条、別表参照―(乙第二号証)および原審証人飯田逸治郎の供述によれば、右規程が土地についての公的な処分を除外する趣旨のものとは考えられず、控訴人が借り受けたのも、同規程に基づいてなされたことが認められるので、控訴人の主張は採用し難く、控訴人が借り受けたのは、行政財産についてなされた使用許可処分によるものであるというべきである。

三〈証拠〉を総合すると次の事実を認めることができる。

終戦直後頃本件土地は、市場外から焼土、瓦礫、コンクリート塊などが持ち込まれて山を築き、一部はいわゆる終戦菜園として野菜等が作られていたものの、概して荒廃の状況にあつた(荒廃の状況にあつたことは争いがない)。被控訴人東京都は、当時予算の関係で、これら残土を自らの手で整理することができないでいたが、市場関係者側からは、休憩所や食堂等の施設が欲しいとの要望があつたため、本件土地の使用を許可するにあたつては、控訴会社代表者小倉誠に整理を依頼した。右使用許可は、地上に建物を建築所有させることが前提となつており、当時建築資材の入手が困難であつたことや、小倉に整地を引き受けさせたこと等の関係から、特に使用についての期限は付せられなかつた。控訴会社は、使用許可を受けると直ちに耕作者を退去させ、相当の費用を投じて本件土地を整理し、宅地化するとともに、その周囲に土手を築き正面入口に門柱を立てて、境界を明確にした。そのうちに、本件土地のうち七五六坪が進駐軍に接収されることとなつたので、被控訴人は昭和二二年一一月二五日「連合軍のための使用が解除されたときはこれが使用につき優先的に適当な措置を講ずる」との条件を付して、右部分の使用許可を取り消した。右接収は、昭和二四年四月解除になり(右接収及び解除については争いがない)、小倉は、再び右部分の使用許可を申請したが、被控訴人はこれを許可しなかつた。しかし、右部分と残余の一、〇四四坪の土地については、表面上特に別異の取扱いがなされるようなことはなくして推移した。

小倉は、はじめは本件土地上に一棟の建物を建築する計画を樹てたが、都経済局の容れるところとならず、昭和二四年末木造瓦葺平家建店舗一棟建坪五五坪を建築し、翌年から喫茶店等の営業をここでするようになつた。その頃小倉は、アントニー・レーモンド設計事務所に依頼して、コンクリート造り八階建の中央市場会館の設計図を作つたりして、何回か本件土地の利用についての計画書を提出したが、いずれも被控訴人の方針に沿わず承認を受けるにはいたらなかつた。このようないきさつから、本件土地上には、前記建物が一棟存在するだけで、その余は放置されたままの観があつたので、被控訴人当局も、漸次控訴人が本気になつて許可を受けた事業を実施するつもりがあるのかどうかを疑うようになり、やがて一部は、小売り買出人の自転車置場として事実上使用されるようになつた。

一方、朝鮮戦争の頃から中央卸売市場への入荷は急激に増加し、市場業務は活となるとともに、市場としては、本件土地をも自ら使用しなければ、入荷物や多数集合する市場関係者の混雑を防ぐことができなくなり、また、本件土地が放置されたままになつていることについて、世論の批判を浴びるようになつたので、昭和二八、九年頃からは、本件土地全部の返還について、被控訴人側と控訴会社の間に話し合いがなされ、被控訴人側では代替地の提供等種々の提案がなされたが、両者間に、妥結を見るにはいたらなかつた。以上の認定に牴触する証人太田園の供述は採用し難い。

四以上認定の事実関係から見るに、

(一)  控訴人の、右土地の使用許可により、公用廃止の処分があつたとの主張は、とうてい採用し難い。

(二)  本件土地の使用期間については、その定めがなかつたものと認めるべきである。もつとも、〈証拠〉によれば、控訴人は昭和二九年以降は、毎年四月一日から翌年三月三一日までと限つて、一、〇四四坪の土地につき使用許可を願い出で、被控訴人はこれを許可していたことが認められるけれども、これは、被控訴人が業務規程四三条、同施行細則五三条に従い、第二三号様式によらしめることとしたまでのことであつて、この事実によつて、直ちに控訴人が一年毎に限られた土地の使用を了承して、願書を提出していたものとはとうてい考えられないから、昭和二七年以降期間は毎年一年となつたとの被控訴人の主張は採用し難い。

五被控訴人が、昭和三二年六月二九日昭和二三年東京都条例一四七号東京都中央卸売市場業務規程を適用し、一、〇四四坪の土地のうち「九六〇坪(目録第一の(二))につき、同月三〇日限り使用指定を取り消す。よつてこの場所に存在する建物(目録第三)を取消ししない土地(目録第一の(三))八四坪上に移転することを命ずる。」との通告を控訴人に対してし、同年九月二二日行政代執行法により実力をもつて、右第一の(二)の土地を回収したこと、これを目録第一の(一)及び第二の土地とともに多数の者に使用させるにいたつたことは、被控訴人の認めるところである。そして、前示三において認定した事実関係および弁論の全趣旨によれば、右使用許可の取消しは、市場業務の拡大に伴ない、当初使用を許可した当時と著しく事情が変更し、市場秩序を保持し、公共の利益を保全するため必要があつたことと、控訴人の土地の使用が不必要又は不適当と認められたためにとられたものであつて、結局、公益上の必要からなされたものであることが認められる。なお、前認定の事実によれば、本件土地の使用について、少なくとも初めのうちは、控訴人は種々の計画案を提出し、熱意を示したけれども、後にはその誠意を疑われるようになつたこと、そう思われても仕方がないような事情があつたことが窺われるので、被控訴人のとつた処置は正当のものであつたというべきである。したがつて、被控訴人の使用許可の取消しおよびこれに基づく執行は、適法な公権力の行使というを妨げず、控訴人の不法行為の主張はこれを採用し難い。

つぎに、控訴人の債務不履行の主張について考える。七五六坪の土地の接収に際し、被控訴人が前示条件を付して右部分の使用許可を取り消したことは上述のとおりであるが、前記二、および三で判示した事実と弁論の全趣旨を考え合わせると、甲第三号証にいう「連合軍のための使用が解除されたときは、これが使用につき、優先的に適当な措置を講ずる」旨の文言は、右七五六坪の使用を許可する場合には、控訴人を第三者より優先せしめるような措置を講ずるというにとどまり、市場業務の状況のいかんによつて、被控訴人が自ら使用する必要を生ずるにいたつた場合に、これをも排除する趣旨であるとは、とうてい考えられない。換言すれば、被控訴人は控訴人に対し、右土地につき再度使用を許可すべき義務を負うにいたつたものと解することはできない。したがつて、被控訴人が控訴人に対し、その後右部分の使用を許可しなかつたからといつて、被控訴人が債務不履行の責を負うものということはできないといわなければならない。〈反証排斥〉

六よつて進んで、控訴人の損失補償の請求について考える。

被控訴人は、行政財産においては、普通財産と異なり、使用を許可するのは例外的な場合に限られ、公益上必要が生ずれば、いつでも使用を終了せしめうる制約が使用許可に内在するのであるから、本件使用許可の取消しにより損失補償の義務はないと主張する。現行の地方自治法二三八条の五第三項によれば、普通財産については、貸付期間中に契約を解除された場合、借受人はよつて生じた損失の補償を求めることができると明記されているのに対し、同法二三八条の四第五項は、行政財産の使用を許可した場合において、公用若しくは公共用に供するため必要を生じたとき、又は許可の条件に違反する行為があると認めるときは、普通公共団体の長(中略)は、その許可を取り消すことができると規定し、損失補償の要否については、何ら触れるところがない。このことは、一見被控訴人の主張を裏付けるもののごとくである。しかし、憲法二九条三項に、「私有財産は、正当な補償の下に、これを公共のために用いることができる。」と規定するのは、いわゆるプログラム規定ではなく、もし使用許可の取消しにより、財産上の犠牲が一般的に当然に受忍すべき制限の範囲をこえ、特別の犠牲を課したものとみられる場合には、直接憲法二九条三項を根拠に補償の請求をすることができるものと解するのが相当である(最高裁昭和三七年(あ)第二、九二二号、昭和四三年一一月二七日大法廷判決参照)。被控訴人の右主張は採用しない。

ところで、本件土地の使用権については、一たん許可が与えられた以上、控訴人に財産上の利益が存することはあらためていうまでもなく、したがつて、これを「私有財産」というを妨げないから、つぎに控訴人が本件土地について損失補償請求権を有するか否かを具体的に検討する。

(一)  七五六坪の土地(目録第一の(一)および第二の土地)について。

右土地が昭和二二年進駐軍に接収されることとなつた結果、前記条件を付して使用許可が取り消され、右接収は昭和二四年四月解除されたが、その後被控訴人は右土地につき控訴人に対し使用を許可していないこと、右条件は、被控訴人に対し、使用許可を義務づけたものとは認めらないことは、いずれもさきに判示したところである。したがつて、補償請求権の有無は、昭和二四年四月接収が解除された時点において、被控訴人が使用を許可しなつたかことについて正当の理由があつたかどうかにかかるものというべきである。(接収そのものは、憲法以前の問題であつて、補償の対象にはならないと解する。)しかも、この場合に控訴人に補償されるべき金額は、財産額を喪失したという積極的損害ではなく、使用許可が与えられたならば、えられる筈であつた利益を喪失したという消極的損害にほかならない。控訴人は、右部分の使用も事実上認められていたと主張し、本件土地が外観上七五六坪の部分と他の部分とが区別して取り扱われていなかつたこと、代替地問題が出たときは、一、八〇〇坪の土地全体について、当事者間に話し合いがなされたことは、前判示のとおりであるが、右七五六坪について使用料が納付されていたことは、控訴人の主張しないところである(当審証人本島寛の証言中、被控訴人が一、八〇〇坪について使用料を徴収していたかのごとき供述部分は信用しない。)から、右部分について使用許可があつたものと同視することはできない、のみならず、控訴人はこの意味においての補償請求をしているものでないことは、弁論の全趣旨に照らして明らかである。さらに、地方自治法二三八条の趣旨を勘案すれば、控訴人は七五六坪については、補償請求権を有しないものと解するのが相当である。

(二)  九六〇坪の土地(目録第一の(二))について。

一〇四四坪の土地中、八四坪(目録第一の(三))を除く九六〇坪について、被控訴人が昭和三二年六月三〇日限り使用指定を取り消し、同年九月二二日行政代執行法により、これを回収したこと、右取消し及び回収が適法な公権力の行使により、控訴人に対してなされたものであることは、前に判示したとおりであり、右行使が控訴人の責に帰すべき事由に基づくものとは、被控訴人もこれを主張していないのであるから、これにより控訴人に特別の犠牲を負わしめるものである場合には、被控訴人はその損失に対し正当な補償を与えるべきである。

ところで、九六〇坪の回収は、個別的に控訴会社だけを対象としてなされたものであり、社会通念に照らしても、右取消しないし回収(侵害)は当然に受忍すべき制限の範囲を越えないものとはとうてい言えないから、控訴人に特別の犠牲を負わしめるものであることは明らかである。したがつて、被控訴人は控訴人に対し正当な補償をなすべき義務がある。

控訴人は、右使用許可の取消しにより、九六〇坪の土地を使用することができなくなつたのであるから、これによつて控訴人に生じた損害が補償の対象とされるべきであることは疑いを容れない。すなわち、右土地の使用権の喪失という積極的損害が補償されるべきである。この点に関する被控訴人の見解には左袒することができない。

ところで、右土地の使用権は、私法上の借地権と同一視することはできないが、建物の所有を目的とする借地権ときわめて相似することも看過すべきではない。控訴人は、荒廃していた本件土地を被控訴人の依頼により、相当の費用を投じて整地したのであり、このことはあたかも、借地権を取得するに際し、権利金を支払つたのと対比することができる。しかも、右使用権が期限の定めのないものであつたことは、さきに判示したとおりである。もつとも、建物所有の目的が市場の付属営業に適するものであることを要し、かつ建物の建築、増改築等については知事の承認を得なければならないし(業務規程四五条)、何らの名義をもつてするを問わず原則として転貸等が禁ぜられている(同四四条)などの制約を受けているが、反面土地使用料の額は通常の借地権の賃料に比しきわめて低廉であることが明らかである。そうとすれば、借地権価格は、本件土地使用権の価格の算定にあたつては、十分に参考とするに値するということができる。当審における鑑定人平野晃の鑑定の結果によれば、昭和三二年六月末及び九月末当時における本件土地の更地価格は、坪当り一七五、〇〇〇円であり、借地権価格は、その八〇%をもつて適当とし、坪当り一四〇、〇〇〇円と評価しているのであつて、その理由も概ね肯綮にあたつている。ただ、借地権価格と本件土地使用権の価格を全く同一視していることは、いささか首肯し難いので、当裁判所は、上来判示した諸事情を斟酌し、本件土地使用権の価格は、更地価格の六〇%をもつて正当とし、右価格をもつて控訴人の受けるべき「正当な補償」と認める。したがつて、被控訴人は控訴人に対し

175,000円×0.6×960=100,800,000円の補償をなすべき義務がある。

七以上に判示したとおりであるから、本件請求中、控訴人が被控訴人に対し一億八〇万円及びこれに対する本件請求がなされた口頭弁論の翌日であること記録上明らかな昭和三七年二月一三日から支払いずみにいたるまで年五分の割合による損害金の支払を求める部分は正当であり、これを認容すべきであるが、その余は失当としてこれを棄却すべく、これと趣旨を異にする原判決は変更を免れない。よつて、訴訟費用の負担につき、民訴法九六条、八九条、九二条、仮執行の宣言につき同法一九六条を適用し、主文のとおり判決する。

(三淵乾太郎 三和田大士 園部秀信)

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